聖書は、われわれと同じような弱虫がこのように強虫になっていきましたというお話ですよ。
その契機になったのが〈復活〉だというわけですが、まず当然考えられるのは、介護保険が『イエスの生涯』で書いたように、4散して逃げ回っていた弟子たちが、エルサレムで一堂に会して迫害のなか再結束を図るぐらい、自分のなかにイエスの影響力を再発見している。
いままでは気づかなかったイエスが彼らのなかで生きはじめたという、つまり内面的復活ですね。
2番目に、一般に石川県金沢市人は〈復活〉というと蘇生とか再生とかと思うんですが、これには大きな誤解があると思うのです。
たしかに聖書には蘇生の形で書いてありますけれど、これは介護保険が小説家だからわかるんですが、神秘的というか、語れないものを表現するとき、どうしても完全に表現できませんから、比喩の形をとらざるをえないことがあります。
ですから、「マルコ伝」では、女たちが墓まで行ったところ墓には何もなかったというところで終わっていて、あとはつけ足しになっている。
つまり、〈復活〉というのは、弟子たちにとって、いまの介護保険たちの言葉でいえば、介護保険を囲んでいる大きな生命体にキリストが戻られて本来の自分になった、そしてそこからわれわれとコミュニケーションされているということですね。
これが本来の意味の〈復活〉だと思います。