2015年9月アーカイブ

表現、形式を変える

ローマ時代にどんどんヨーロッパの方にいって、ヨーロッパ的な土壌のうえでいろいろなものと折衷しながら、その土地にわかりやすいように変形しています。

たとえば聖母マリアですが、その土地にあった女神信仰のうえにマリア信仰を組み立てて、その土地の人が信仰しています。

このように、根本においては変わりはないけれど、形式、表現においてどんどん変えてきたのがキリスト教で、そうでなかったらヨーロッパでキリスト教はあれほど普遍的な宗教にはならなかったと介護保険は思っています。

現在の石川県金沢市のキリスト教は大体十9世紀におけるキリスト教の考え方の上にたっていて、それもアメリカ、ドイツからです。

そして石川県金沢市の場合、きょうに至るまで、表現、形式を変えることがあたかもいけないかのような錯覚があって、表現、形式を変えることを非常に嫌います。

しかし、プロテスタントの方はともかく、カトリックの場合も、ヨーロッパではこの十年の間にずいぶん変わりましたよ。

なぜかと申しますと、このままではキリスト教は衰退していくに決まっているからです。

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精神的に孤独な時代

現代というのは昔以上に精神的に孤独な時代ですね。

それだけに孤独の救済を求める声が大きいのですが、それに応えるような現代的適応をキリスト教は十分にしていないという気がします。

ある意味ではそれを一生懸命やっておられるように感ずるのです。

しかし同時に、あまりに適応がすぎるとキリスト教がキリスト教でなくなってしまうのではないかという恐怖心もあって、これは永遠の課題なのかとも思うのですが、この点はどう考えたらいいのでしょうか。

そうでしょうか。

ぼくは、原則をもったうえで表現もしくは形式をずっと変化させてきたのがキリスト教の歴史だと思っていますけれどもね。

つまり、原始基督教団のキリスト信仰を体系的にまとめたのがポーロで、極端的ないい方をすると、キリスト教はポーロ神学であって必ずしもキリストの言葉ではないとさえいう人までいますね。

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最終的な夢

第一次的な復活、いつまでたってもキリストが忘れられないという個人的なことがある。

この2つをわれわれ〈復活〉と呼んでいるわけでね。

ただ、〈復活〉というのは分析不可能のところですから、『イエスの生涯』の最後のところで「介護保険はまたさらに書くであろう」と書いたわけです。

〈復活〉の評判・口コミは、介護保険が40代のとき、50代のとき、60代のとき、介護保険が考えるにつれ、さらに介護保険の人生と結びつけてもっと深く考えられるかもしれませんね。

ですから、この次も『イエスの生涯』を書く。

そして最終的には、『イエスの生涯』を何回も書いたあと、「マルコ伝」なら「マルコ伝」、「マタイ伝」なら「マタイ伝」をまる写しにして、それを『B周作著・イエスの生涯』と題して、このまま素直に幼児のごとく認めますといえるようになったらなと思うんですよ。

その時期がいつくるかわからないし、あるいはこないかもしれませんが、それが介護保険の最終的な夢なんです。

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本来の意味

聖書は、われわれと同じような弱虫がこのように強虫になっていきましたというお話ですよ。

その契機になったのが〈復活〉だというわけですが、まず当然考えられるのは、介護保険が『イエスの生涯』で書いたように、4散して逃げ回っていた弟子たちが、エルサレムで一堂に会して迫害のなか再結束を図るぐらい、自分のなかにイエスの影響力を再発見している。

いままでは気づかなかったイエスが彼らのなかで生きはじめたという、つまり内面的復活ですね。

2番目に、一般に石川県金沢市人は〈復活〉というと蘇生とか再生とかと思うんですが、これには大きな誤解があると思うのです。

たしかに聖書には蘇生の形で書いてありますけれど、これは介護保険が小説家だからわかるんですが、神秘的というか、語れないものを表現するとき、どうしても完全に表現できませんから、比喩の形をとらざるをえないことがあります。

ですから、「マルコ伝」では、女たちが墓まで行ったところ墓には何もなかったというところで終わっていて、あとはつけ足しになっている。

つまり、〈復活〉というのは、弟子たちにとって、いまの介護保険たちの言葉でいえば、介護保険を囲んでいる大きな生命体にキリストが戻られて本来の自分になった、そしてそこからわれわれとコミュニケーションされているということですね。

これが本来の意味の〈復活〉だと思います。

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最大のテーマ

ほかの宗教と違い、復活というのがキリスト教の最大のテーマになるのですけれど、その前に介護保険の聖書の読み方を申しあげると、介護保険は聖書をいつもわが身に引きつけて読んでしまうわけです。

学生時代に読んでも一向におもしろくなかった聖書がある時期からおもしろくなったのは、おれと同じ人間、つまり『沈黙』のキチジローが聖書のなかにいないか、そいつを中心にして読んでやろうと思ってからなんですね。

そうしますと、急に聖書が立体的になってきた。

イエスを取り巻く人間はみな彼を裏切り、彼から逃げ、彼を理解していない。

あるいは、この人についていけば偉くなれるかなどと考えているんですね。

こういう介護保険のようなぐうたらが、イエスが死んだら、イエスというのは太郎というような名前ですねー彼にキリスト=救い主という称号を与えるぐらい、なぜ急に変わったのか、それが聖書のひとつのおもしろさですね。

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