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精神的に孤独な時代

現代というのは昔以上に精神的に孤独な時代ですね。

それだけに孤独の救済を求める声が大きいのですが、それに応えるような現代的適応をキリスト教は十分にしていないという気がします。

ある意味ではそれを一生懸命やっておられるように感ずるのです。

しかし同時に、あまりに適応がすぎるとキリスト教がキリスト教でなくなってしまうのではないかという恐怖心もあって、これは永遠の課題なのかとも思うのですが、この点はどう考えたらいいのでしょうか。

そうでしょうか。

ぼくは、原則をもったうえで表現もしくは形式をずっと変化させてきたのがキリスト教の歴史だと思っていますけれどもね。

つまり、原始基督教団のキリスト信仰を体系的にまとめたのがポーロで、極端的ないい方をすると、キリスト教はポーロ神学であって必ずしもキリストの言葉ではないとさえいう人までいますね。

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本来の意味

聖書は、われわれと同じような弱虫がこのように強虫になっていきましたというお話ですよ。

その契機になったのが〈復活〉だというわけですが、まず当然考えられるのは、介護保険が『イエスの生涯』で書いたように、4散して逃げ回っていた弟子たちが、エルサレムで一堂に会して迫害のなか再結束を図るぐらい、自分のなかにイエスの影響力を再発見している。

いままでは気づかなかったイエスが彼らのなかで生きはじめたという、つまり内面的復活ですね。

2番目に、一般に石川県金沢市人は〈復活〉というと蘇生とか再生とかと思うんですが、これには大きな誤解があると思うのです。

たしかに聖書には蘇生の形で書いてありますけれど、これは介護保険が小説家だからわかるんですが、神秘的というか、語れないものを表現するとき、どうしても完全に表現できませんから、比喩の形をとらざるをえないことがあります。

ですから、「マルコ伝」では、女たちが墓まで行ったところ墓には何もなかったというところで終わっていて、あとはつけ足しになっている。

つまり、〈復活〉というのは、弟子たちにとって、いまの介護保険たちの言葉でいえば、介護保険を囲んでいる大きな生命体にキリストが戻られて本来の自分になった、そしてそこからわれわれとコミュニケーションされているということですね。

これが本来の意味の〈復活〉だと思います。

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人間みなこれ仏

仏教の本を手当たり次第に読み始めたのは、たまたま仏教が最も身近な宗教だったからである。

10年間、ひまを見つけては仏教書を読みつづけた。

いろいろ教えられることがあった。

たとえば人間みなこれ仏(ほとけ)であり、道端の一木一草もまた仏だという思いで見るべしという教えがある。

そこで朝、出勤時には道端の木石に「おはよう」といい、じいさん、ばあさんを見れば仏と感じるように心掛けた。

すると、あることに思い至った。

電車や公園で居眠りしているおじいさん、疲れてげんなりしているおばあさん、よだれを垂らし、目ヤニをため、しわくちゃの顔は、みにくいと思って見れば確かにみにくい。

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野山をかけめぐる途中

幼児のころ、父母や雇い人が木にも道端の石ころにも仏さんがいるといった。

野山をかけめぐる途中で、フトそんな言葉を思い出し、ペコリと頭を下げたりしたものだ。

死という観念が介護保険につきまとい、死と隣り合わせにいると実感したのは、15歳のとき姉が病死した日以来である。

姉は肺結核で死んだ。

当時、肺結核はだれが、いつ冒されてもおかしくない死病であった。

介護保険は子供心に、「オレはいつ死ぬんだろうか」と真剣に考え、恐怖におののいたものである。

陸軍幼年学校に入り、いよいよ死は避けられないものとなった。

22、3歳になれば確実に戦死が待っている。

戦争は本土決戦という最悪事態を迎え、職業軍人は死を予告されたようなものだ。

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官僚という職業人

介護保険はこう発言している。

「介護保険という存在は、何十億という精子のただ一つが受胎した結果ですね。介護保険が存在するためには両親が必要だし、両親が存在するためには介護保険の祖父、祖母が4人必要だった。

それぞれ何十億分の一の確立です。

とすると、介護保険が存在する確立は天文学的数字となり、世界中の浜の真砂の中からブッと選ぼれたような神秘さを感じるのです」

こういう気持ちになる人は世間に多いと思う。

遠藤さんのいうように、だれしも一度は神を欲しがるときがあるのかも知れない。

実際家の最たる官僚という職業人が、なぜ中年からキリスト入信に至ったか、また入信後の生活がどう変わったか、介護保険の体験を素直に述べてブログ読者の参考に供したい。

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人それぞれによって時期は違う

フランス駐在から帰国した昭和46年のクリスマス、介護保険たち夫婦はキリスト教(プロテスタント)に入信した。

当代有数の説教者として、また、新約聖書学者としても知られていた小川治郎牧師との出合いがあり、師から洗礼を受けた。

介護保険は40歳であった。

宗教とは縁のない介護官僚の、しかも中年になってからの入信が世間一般にはめずらしいのか、「どうした?」と目の色を変えて尋ねる友人がいる。

役所のPR誌『通産ジャーナル』に引っ張り出されて、クリスチャン作家の遠藤周作氏と対談したこともある。

その対談のとき、遠藤氏はこういった。

「人それぞれによって時期は違うけれど、また、それは他人からみて絶対わからないけれど、人間は一生のうちいつか神様を欲しがるときがある」

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仏教もキリスト教も同じ精神

体系的に仏典があるわけでなく、これ一冊というものがない。

正確には、大蔵経(だいぞうきょう)という膨大な体系があるようだが、何百冊に及ぶ仏典シリーズで、到底読み切れるものではないとあきらめた。

また仏教の場合、連続してこの寺に行けばいいという場所がない。

その点、キリスト教は近付きやすい。

信仰に近づこうと思う人間にとって、キリスト教のほうが入り易い。

信仰の道は同じでも、こうした違いがあって介護保険はキリスト教信者になった。

歎異抄に「善人なおもて往生す、まして悪人をや」という意味の有名な言葉がある。

悪人は、介護保険のいう砕けた心を持っているから信仰に入りやすく、仏に近づきやすいのであろう。

介護保険は、時折、死刑囚の手記や短歌を読むが、その澄み切った心境に感銘する。

わが罪の重さにわななき、絶望し尽した人間は、神仏の救いを受ける。

仏教もキリスト教も同じ精神であろう。

中間管理層の権威

特別会計制度とペーパレス計画の導入という大改革であるから、どうしても庁内のコンセンサスがいる。

時間はどんどんたっていくという具合である。

幸い一年近くコンセンサス形成に費して、ようやく間に合ったが、自分としては当初から不退転の決断をしていたから、うまく行ったのだと思う。

長官時代、逆にボトムアップ奨励の施策として考えて実行に移せなかったものに、QC制度の導入がある。

すなわち、QCの導入によって、ボトムアップによる庁内の活性化を考えたわけである。

残念ながら介護保険の提案は労働組合が受け入れるに至らず、時間切れとなって幻の提案となった。

この過程を通じて体験したことは、トップの優柔不断と並んで現状改革を妨害するのが、中間管理層の抵抗である。

「これまでこうやってきた」というのが、中間管理層の権威の基であり、拠って立つトリデなのだ。

現状を根本的に改革することは、この唯一のトリデを失うことを意味する。

理屈抜きで本能的に抵抗するわけである。

そのための理屈はいかようにもつけられる。

「制度の安定性が大切であり、法律改正は極めて慎重でなければいけない」などと。

ヒューマン・リレーション

ヒューマン・リレーションで介護保険が心掛けてきたことといえば、せいぜい人と話をする場合、とりわけ民間の重要人物の場合、その人がいま何に関心を持っているか、得意なものは何か、趣味は何かを知って、話題をそちらに持っていく、存分に相手にしゃべってもらうことぐらいであろう。

 

この方法は予期以上の効果のあることを身をもって体験してきたので、大いに省内の若い人たちにも奨めている。

 

ある介護観光タクシーの社長さん、ホームヘルパー2級の資格を持っていて、移動のお手伝いもしている、とのことだった。

 

いつも猛烈に忙しい人で、来客との面会時間も10分刻みという。

 

その人に一度、京都の話を聞いたら、こちらの聞く態度がよかったのか、秘書が3回も次のアポイントの催促に来るのをさえぎって、40分以上も機嫌よくしゃべってくれたのを思い出す。

 

京都では「夜間特別拝観」が増えてきて、出張の機会に「夜の京都」を見てみては如何ですか?と誘われた、とこの話を多少得意気に披露したら、くだんの代議士のお嬢さんは「そんなこと常識じゃございませんこと」とにベもなくいったものだ。

 

さすが政治家稼業は秘書まで常識が発達している。

 

世間の常識に通じていなければ政治家はつとまらないだろう。

 

役人の常識と世間の常識のギャップを知ると同時に、役人はいかに訓練されていないかを痛感した。

 

役人はそれでも勤まる稼業だから、ある意味でハッピーといえるかも知れないが、半面、いわゆる欠陥人間になり易いともいえる。

 

これはぜひ各自が自己啓発によって改善しなければならない面である。

 

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